著者は、スリランカに旅する機会があり、日本の学校でいじめられている少年をこの国で生活させたかったようである。物語の中でおじいちゃんの誘いもあり、7日間のスリランカでの生活を中心に描かれている。
主人公の周は、富士山とぶどう畑から、山梨県の小学校に通う小学生である。成績が良すぎて健一郎という同級生にいじめられている。いつもいっしょにいてくれる洋介を健一郎は自分に引き寄せることで周を孤立させる。加奈という同級生の幼なじみは心配するが、むしろ週は自分をみじめだと感じるようになり加奈さえ寄せ付けないでいる。物語の最初から息苦しいのであるが、スリランカで発電所建設の仕事をしているおじいちゃんとメールのやりとりをしているうちに、自分の苦しい気持ちを打ち明けて、おじいちゃんから誘われてスリランカへ旅することになる。
そこで、現地の運転手のセナとその娘のジャヤと出会う。病弱な母の代わりに茶畑で働くジャヤは、とても人なつっこい性格で、周に茶畑のお気に入りの景色を見せてくれた。スリランカは、元はセイロンという名前の国で昔から仏教徒のシンハラ人が国を支配していたが、イギリスが紅茶を作るために進出してきて、インド人を労働させるためにインド大陸から連れてきて働かせた。彼らはイスラム教徒のタミル人でセナの先祖である。シンハラ人は人口も多く、タミル人とは宗教も異なることから差別的に扱っている。
ジャヤは、タミル人の父のセナとシンハラ人の母が結婚して生まれた子どもであるという複雑な境遇にある。周は、自分の学校で仲間外れにされるのと、ジャヤを重ねて考えるようになる。周は、ジャヤの屈託ない明るさから救われる気持ちになる。勿論、これで日本に帰ったからといって学校の状況は変わるわけもなく、周は自分なりにもがき続ける。
スリランカの旅の最後にと、おじいちゃんが昔の遺跡を見せに自動車を借りて、セナとジャヤも連れて旅をすることになる。スリランカの南の海岸で、フィンランドの青年、3人が大きな波に立ち向かっているのを見る。勿論、大きな波にかなうわけもなく、身を任せるしかない。周も青年たちのまねをしてやって見る。
この物語は、このあたりで終わり周は、一人で日本に帰るといっておじいちゃんの付き添いをことわって帰るのである。日本の学校生活は何もかわらないかもしれないが、セナから聞いた話からも、おじいちゃんからも、ジャヤとの出会い、フィンランドの青年たちからも力をもらったかも知れないと想像させる。
セナが物語の中でこんなことを言っているのが印象的である。「わかるまで考える。勉強してかしこくなったら、たくさん考えられる。知識や経験がたくさんあれば、想像する力もついてくる。人の気持ちが想像できる。ものごとの先を想像できる。たくさん想像できる人は、人を殺さない。悲しみが想像できるから」108p~109p
つちやふみよし アドレス br2k2t29t512y@gmail.com 司書(情報教育・言語活動)、読書のアニマシオン研究会会員、学校図書館問題研究会会員
コメント
コメントを投稿